甲子園球場開場100周年の式典を前にバースさん(左から2人目)と談笑する吉田さん(中央)=阪神甲子園球場で2024年8月1日午後、荻野公一撮影
3日に91歳で死去したプロ野球・阪神元監督の吉田義男さん。昨年8月1日、甲子園球場開場100周年の記念式典に登場した。式典後の言葉は、どこか奥ゆかしさが漂った。
式典は阪神―巨人戦に先立って行われた。セレモニーを前に吉田さんは、1985年に阪神が初めて日本一になった時の主力で、節目の日に招かれたランディ・バースさん(70)と語らっていた。式典では巨人のエースだった堀内恒夫さん(77)と並んで始球式を務めた。
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左手につけたグラブはひときわ大きく見えた。元々、小柄な遊撃手。バースさんと大声で談笑していたが、既に卒寿を迎えていた。始球式の投球は2バウンドだった。「ノーバウンドで投げたかったですね。残念でした」と悔しがり、野球選手の本能ものぞいた。
ただ、口をついたのは周囲、そして甲子園への感謝の言葉だった。広く、土のグラウンドが投手や内野手を育てたといい、「(故人で名グラウンドキーパーの)藤本治一郎さんには『絶えず鏡のごとし』と内野の整地をしていただいた」。
今後の野球界については「いい選手が育ってお客様がたくさん入って隆盛する。そういうプロ野球を」と願った。最後には「我々というより、私は91歳ですから静かに見守っていこうと、そう思っております」。
「天国と地獄」を味わった自らの監督時代を経て、2023年には阪神は岡田彰布監督(現オーナー付顧問)の下で38年ぶりに日本シリーズ制覇を果たした。そして、甲子園は連日満員で、今や阪神は球界屈指の人気チームとなった。チームや後進の成長も見届け、優しい口調だった吉田さんは、言葉の通り泉下で静かにタイガースを見守ることだろう。【荻野公一】