
大きなやつに負けへんで 努力と哲学の「牛若丸」―故吉田義男さん(時事通信) – Yahoo!ニュース
吉田義男さん 吉田さんには、マージャンパイを「足でかき交ぜる」といううわさがあった。 負けが込むと悔しそうに、足を使うのだと。たちの悪い冗談だと思っていたが、本当だった。 【写真】阪神の吉田義男さんのバッティング(1968年) 1985年、阪神21年ぶり優勝の祝賀会で、上機嫌の吉田さんが同じテーブルの記者たちに話し掛けた。「私は若い頃、皆さんとようマージャンしましたなあ。負けてくると足でパイをかき回したもんです。あの時はすんまへんでしたな」 無礼には違いないが、勝負にこだわる男のすさまじい負けじ魂も見て取れる。うわさには後段があった。「足で交ぜるのを見た者は闘志がなえた。最後に勝つのはいつも吉田さんだった」 身長は当時でも小柄な部類に入る160センチ台。人一倍の負けん気の強さがなければ、プロの世界で大男たちと戦えなかっただろう。妻の篤子さんによると「ナイターから帰っても、食事はそっちのけで素振りをしていた」。実働17年で1864安打。400勝投手の金田正一(国鉄、巨人)に「あいつとはやりたくなかった」と言わせた。 打撃にもまして万人をうならせたのは、「史上最高の遊撃手」と言われた華麗な守備。難しいゴロをたやすくさばき、矢のような速さで一塁へ。どんな体勢で捕っても、送球体勢に入った。身のこなしは「牛若丸」に例えられ、三宅秀史と組む三遊間は鉄壁といわれた。「若い時は四六時中ボールを手にしていた。いかに早くボールを離すか、そればかり考えていた」と吉田さん。努力のたまものだった。 阪神の監督を3回務め、日本一にもなった。「選手一丸」「挑戦」という言葉を、愚直なまでに繰り返してチームを束ねた。気になる選手には手紙を書いた。「親を大事に」「感謝の心を忘れるな」。心がこもっていた。 自宅のげた箱には新品同様の靴が数十足もあった。いわゆる「履き道楽」だったようだが、篤子さんによると、そこに吉田さんなりの哲学もあった。「男を選ぶときは靴を見ろと、よく娘に言っていました。着飾っていても靴が汚い男はあかん。自分のこともきちんとできんやつは人の上に立てへん」 野球がうまくなりたい、大きなやつに負けへんで―。生涯を精いっぱい生き抜いた吉田さんの靴は、いつも驚くほどきれいに磨かれていた。 時事通信 ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************
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パナHD、25年度に家電事業を集約 グループ再編、テレビ撤退も:時事ドットコム
時事通信 経済部2025年02月04日21時48分配信 オンラインで組織再編について説明するパナソニックホールディングスの楠見雄規社長=4日 パナソニックホールディングス(HD)は4日、2025年度にグループ再編に取り組むと発表した。中核的な事業会社の「パナソニック」を解散し、同社傘下の社内カンパニーを事業会社化。そのうちの1社にグループ内に分散する家電事業を集約し、収益に苦しむ同事業の立て直しを図る。成長を見通せない「課題事業」にテレビなどを位置付けており、撤退も含めて検討する。 オープンAI競合と提携 生成AI、製品に展開―パナソニック パナソニックHDの楠見雄規社長は同日のオンライン説明会で、25年度を「経営改革に集中し、基盤を固める年とする」と強調した。同年度中に早期退職の募集などを通じて人員削減に踏み切ることも明らかにした。 最終更新:2025年02月05日07時37分
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「何があったか大変心配なんですが」…小島瑠璃子「救急搬送」に「THE TIME,」安住紳一郎アナが案じる(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
小島瑠璃子 TBS系「THE TIME,」(月~金曜・午前5時20分)は5日、タレントの小島瑠璃子(31)が4日に夫と都内の自宅から救急搬送されたことを報じた。 搬送先の病院で夫の死亡が確認され、小島自身は軽症で命に別条はない。警視庁は詳しい状況を調べている。 小島は高校1年生だった2009年に「第34回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で応募3万3910人からグランプリに輝き、芸能界デビュー。明るいキャラクターとトークスキルを生かし、バラエティー番組を中心にスポーツ番組のキャスターとしても活躍した。 23年2月末で、大手芸能事務所「ホリプロ」を退社し、同年3月に温浴施設のプロデュースなどを手掛けていた2歳下の若手実業家と電撃結婚した。当初、中国の大学に語学留学することを発表していたが、留学を延期して第1子を出産。都内で育児に励む様子も見られた。 総合司会を務める安住紳一郎アナウンサーは、このニュースを報じる際に「昨日夕方、入ってきたニュース…何があったか大変心配なんですが」と案じていた。 報知新聞社 スポーツ報知 ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************
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吉田義男さんと広いパリで偶然出会い、その場でインタビュー「それは奇跡ですな」|au Webポータル
プロ野球・阪神で遊撃手として活躍し、1985年には監督として初の日本一にチームを導いた吉田義男さんが91歳で亡くなった。五輪、プロボクシングなどを中心に取材し、野球に携わったのはわずか1年しかない私だが、吉田さんは私にとっては“奇跡の人”だった。 願い続ければ夢はかなう―。それが現実となったは1994年5月末のことだった。その時、確かに一生分の“運”を使い果たしたと思った。 私は当時、全仏オープンテニス取材のため、パリに滞在していたが、その大会で期待されていた日本人選手たちは次々と敗退。2回戦までに全員が姿を消した。事前取材をみっちりして臨んだ大会取材だったが、それを生かすことなく、会社からは無情にも「日程を1週間早く切り上げて帰国しろ」との指令が…。経費削減のためには致し方ない。「なんて運のない…」。自らの運のなさをのろいながら、トーナメント取材もそこそこに、ルーブル美術館近くの旅行社に行って帰国便を変更した。せっかくパリまで来たのだから、何か“お土産”を持って帰らないと…。記者魂に突然、火がついた。 近代五輪100年の記念大会となったアトランタ五輪まで2年というタイミングで、フランスの五輪競技に関係する選手や団体を取材しようと思ったが、ツテがない。その時、ふと頭に浮かんだのが野球のフランス代表監督に、元阪神監督の吉田さんが就任していたことだった。それまではプロ野球などはほとんど取材したことがない。ましてやアマチュア野球に人脈もなく、場所はフランス。フランスの連盟に連絡のつけ方さえ分からない。この広いパリで、どうやって吉田さんを探す? 日本に電話して野球部の誰かに連絡先を聞こうと思ったが、時差があって日本は真夜中。「やっぱり無理だな…」。諦めて近くの日本料理店(確か大阪が名前についていた店だった)に入ってラーメンを食べて帰ることにした。 日本から遠いパリで、おいしいラーメンを堪能して、ルーブル美術館を背にパレ・ロワイヤル付近をあてもなく歩を進めていくと、前から日本人らしき紳士が歩いてくる。近づくにつれ、テレビで見たことのあるような体つき…まさか。だが、まさに、そのまさかだったのだ。なんと私に向かって歩いて来たのは吉田さん、その人だった。私は駆け足で近づいて「吉田さんでいらっしゃいますよね?」と恐る恐る尋ねると「はい、そうですけど…」。その瞬間、私は1オクターブ高い声で「お探し申し上げておりました!」。事情がつかめず、目をパチパチする吉田さんに、これまでのいきさつを話し、ずうずうしくもチャンスがあったら吉田さんを取材したいという思いがあったことを伝えた。 事情をようやくつかめた吉田さんは「それは奇跡ですな…」と一言。「はい、奇跡です!」と、私も子供のようにはしゃぎたい思いをぐっとこらえて笑顔で返した。「そうですか。これも何かの縁。それなら、お話ししましょう」と吉田さんはその場で取材を受けてくださったのだ。なんでも、奥様と近くのデパートに買い物に来て、ラーメン店の近くの駐車場に止めていた車をピックアップする途中だったという。吉田さんは車でデパートまで戻り、奥様を乗せてわざわざ戻ってきてくれた。奥様が再び車を駐車場に止めに行く間に、私は近くのカフェで吉田さんの話を伺うことがことができた。しばらくして戻ってきた奥様も“奇跡”に驚き、そして笑顔で私の取材が終えるのを待ってくださった。 吉田さん率いるフランスは5月、パリで行われた世界選手権予選を突破し、念願だった夏の本戦(ニカラグア)出場を果たしたばかりだった。当時、欧州はオランダ、イタリアの2強をスウェーデンが追っていたが、そこに食い込むまでに吉田さんがフランスを強化したのだ。「やっとチームが勝つことに向けてひとつになった感じですね。選手それぞれの個性が強い国ですから、最初はバントへの理解もなかった。でも、チームプレーの大切さや勝つことが、自分たちにどれくらい必要か分かったようです」と目を細めて語ってくれた。フランスの地元紙はこぞって、吉田さんを「プチ・サムライ(小さな侍)」とたたえていた。「5年前(89年)からアトランタ五輪への計画を立ててきており、ようやく上位に安定してきた。それでも、実力は日本の高校生程度ですか…」と、わずか数十分前に出会ったばかりの私に見せた笑顔が忘れられない。 吉田さんはフランスの野球事情や、毎日や阪神などで活躍した山内一弘さんが打撃指導をしてくれたこと、阪神やダイエー(現ソフトバンク)など5球団から練習用ボールを送ってもらったことなどを話してくれた。「これが本当に貴重なんです」とうれしそうだった。 吉田さんは「来年(95年)夏の欧州選手権で勝って、アトランタに行きます。もしかしたら、アジア遠征するかも。そのときまでに、もっとフランスは強くなっていると思いますよ」と約30分のインタビューを結んだ。残念ながら、アトランタ五輪出場はかなわなかったが、吉田さんがパリにアパートを購入して本腰を入れて強化に努めた思いは着実に浸透していったようだ。2019年の「フランス国際野球大会 吉田チャレンジ」では、フランスが侍ジャパン社会人代表を下している。2011年、吉田さんの貢献が評価され、フランス野球・ソフトボール連盟の名誉会員に選ばれた。 インタビュー後、吉田さんは私を車に乗せて、移動しやすい場所まで送ってくださった。奥様と一緒に手を振ってくださった吉田さんに、私は何度も頭を下げた。もしかしたら…フランス野球を本気で強くしようとする思いを伝えるため、広いパリで私と出会う奇跡は、吉田さんが起こしたのかもしれない。(記者コラム・谷口 隆俊)
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大きなやつに負けへんで 努力と哲学の「牛若丸」―故吉田義男さん:時事ドットコム
時事通信 運動部2025年02月05日07時08分配信 吉田義男さん 吉田さんには、マージャンパイを「足でかき交ぜる」といううわさがあった。負けが込むと悔しそうに、足を使うのだと。たちの悪い冗談だと思っていたが、本当だった。 1985年、阪神21年ぶり優勝の祝賀会で、上機嫌の吉田さんが同じテーブルの記者たちに話し掛けた。「私は若い頃、皆さんとようマージャンしましたなあ。負けてくると足でパイをかき回したもんです。あの時はすんまへんでしたな」 無礼には違いないが、勝負にこだわる男のすさまじい負けじ魂も見て取れる。うわさには後段があった。「足で交ぜるのを見た者は闘志がなえた。最後に勝つのはいつも吉田さんだった」 身長は当時でも小柄な部類に入る160センチ台。人一倍の負けん気の強さがなければ、プロの世界で大男たちと戦えなかっただろう。妻の篤子さんによると「ナイターから帰っても、食事はそっちのけで素振りをしていた」。実働17年で1864安打。400勝投手の金田正一(国鉄、巨人)に「あいつとはやりたくなかった」と言わせた。 打撃にもまして万人をうならせたのは、「史上最高の遊撃手」と言われた華麗な守備。難しいゴロをたやすくさばき、矢のような速さで一塁へ。どんな体勢で捕っても、送球体勢に入った。身のこなしは「牛若丸」に例えられ、三宅秀史と組む三遊間は鉄壁といわれた。「若い時は四六時中ボールを手にしていた。いかに早くボールを離すか、そればかり考えていた」と吉田さん。努力のたまものだった。 阪神の監督を3回務め、日本一にもなった。「選手一丸」「挑戦」という言葉を、愚直なまでに繰り返してチームを束ねた。気になる選手には手紙を書いた。「親を大事に」「感謝の心を忘れるな」。心がこもっていた。 自宅のげた箱には新品同様の靴が数十足もあった。いわゆる「履き道楽」だったようだが、篤子さんによると、そこに吉田さんなりの哲学もあった。「男を選ぶときは靴を見ろと、よく娘に言っていました。着飾っていても靴が汚い男はあかん。自分のこともきちんとできんやつは人の上に立てへん」 野球がうまくなりたい、大きなやつに負けへんで―。生涯を精いっぱい生き抜いた吉田さんの靴は、いつも驚くほどきれいに磨かれていた。 (時事通信社・安東茂光) 最終更新:2025年02月05日07時08分
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石破茂首相、ガザ住民受け入れ検討 医療分野で支援 – 日本経済新聞
記事を印刷する メールで送る リンクをコピーする note X(旧Twitter) Facebook はてなブックマーク LinkedIn Bluesky 石破茂首相は3日の衆院予算委員会で、イスラエル軍の攻撃を受けたパレスチナ自治区ガザの住民を受け入れ、医療分野などで支援を実施する方向で検討していることを明らかにした。「ガザで病気やけがをなさった方々を何とか日本に受け入れられないかと今、鋭意努力している」と述べた。 公明党の岡本三成氏に対する答弁。〔共同〕 記事を印刷する メールで送る リンクをコピーする note X(旧Twitter) Facebook はてなブックマーク LinkedIn Bluesky こちらもおすすめ(自動検索) あなたに合った電子版の使い方をご紹介 フォローする 有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。 初割で無料体験するログイン 記事を保存する 有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。 初割で無料体験するログイン Think! の投稿を読む…
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石破首相、ガザの病人や負傷者、留学生の「受け入れに努力」 アラブ諸国は移住拒否の声明
衆院予算委員会で答弁する石破茂首相=3日(春名中撮影) 石破茂首相は3日の衆院予算委員会で、停戦合意が行われたパレスチナ自治区ガザの住民について「病気やけがをした方々をなんとか日本に受け入れられないか、今、鋭意努力をしている」と述べ、医療支援としての受け入れに前向きな姿勢を示した。公明党の岡本三成政調会長への答弁。 平成29年に政府がシリア難民を留学生として日本に迎え入れた事例を岡本氏が紹介したのに対し、首相は「どこの大学が受け入れてくれるかも大事だ。シリアの例をよく参考にしながら、実現に向けて努力をする」と語った。 一方、ロイター通信などによると、アラブ諸国の外相らは1日、エジプトで会合を開き、いかなる状況下でもパレスチナ人をガザから移送することを拒否するとの共同声明を発表した。 トランプ米大統領は、エジプトとヨルダンはガザのパレスチナ人を受け入れるべきだと繰り返し発言している。 トランプ氏、ガザ住民受け入れへ圧力 エジプトとヨルダンは「やることになる」 トランプ氏発言に反発強まる、アラブ諸国にガザ住民の受け入れ要請 ヨルダン外相も拒否
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ロコ・ソラーレ ミラノ五輪消滅回避の1日2連勝!2次リーグ進出|au Webポータル
◇カーリング日本選手権 第3日(4日、神奈川・横浜BUNTAI) 女子の1次リーグで、五輪2大会連続メダルのロコ・ソラーレが、1日2連勝で2次リーグ進出を決めた。初戦の札幌国際大に10―3で今大会の初勝利を挙げると2試合目のチーム大阪にも12―5の圧勝。2日の初戦を落とし、負けられない一戦だったが、世界の一線で見せつけてきた底力で、しっかり修正した。今大会で4位以下だとミラノ・コルティナ五輪への道が途切れるが踏みとどまり、一気に勢いに乗った。 ロコ・ソラーレが1日で軌道修正してきた。この日の第1試合で札幌国際大を退けると、勢いをつけて臨んだチーム大阪との第2試合。第1エンド(E)で2点を奪い、続く第3Eでは常にナンバーワンを維持し、相手のミスを誘うと一気に5点を奪うビッグエンド。その後も着実に得点を重ね相手を寄せつけず2連勝で貫禄を示した。スキップの藤沢五月(33)は「初日は対戦相手との相性が悪かった。みんなで勝てるチャンスはあるねとしっかり確認しました」と納得の表情を浮かべた。 今大会で4位以下なら3大会連続での五輪出場が消滅する。2日の北海道銀行との初戦を落とし、後がない状況だったが、追い詰められれば、追い詰められるほど底力を発揮するのがメダリストチーム。敗戦を「教科書」に、反省点を改善し、1次リーグを突破した。藤沢は「昨年は2敗して決勝にいけなかった。結果よりも自分たちがアイスと向き合えれば」と気を引き締めた。(松末 守司)
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毎小ニュース:話題 病院建設に254億円寄付 兵庫
毎小ニュース 兵庫県宝塚市(ひょうごけんたからづかし)は3日(みっか)、市内(しない)で暮(く)らす元(もと)会社(かいしゃ)役員(やくいん)の岡本(おかもと)光一(こういち)さん(77)と妻(つま)明美(あけみ)さん(75)から「安心(あんしん)できる市立病院(しりつびょういん)にしてほしい」と約(やく)254億(おく)円(えん)の寄付(きふ)を受(う)けたと発表(はっぴょう)しました。市(し)はこの寄付(きふ)を、1984年(ねん)にできて古(ふる)くなった市立病院(しりつびょういん)の建(た)て替(か)え費用(ひよう)に充(あ)てる予定(よてい)です。建(た)て替(か)えは将来(しょうらい)の市(し)の財政(ざいせい)に大(おお)きな負担(ふたん)となりそうなため、お金(かね)を集(あつ)めるのに苦労(くろう)していました。 市(し)は寄付金(きふきん)のうち250億(おく)円(えん)を建(た)て替(か)えに充(あ)て、残(のこ)りの4億(おく)円(えん)で医師(いし)の手術(しゅじゅつ)の支援(しえん)ロボットを購入(こうにゅう)することにしています。建(た)て替(か)えの事業(じぎょう)費(ひ)は約(やく)397億(おく)円(えん)と試算(しさん)されており、寄付(きふ)額(がく)はその約(やく)6割(わり)に当(あ)たります。岡本(おかもと)さん夫妻(ふさい)は記者会見(きしゃかいけん)で「建(た)て替(か)え費用(ひよう)は大(おお)きく市(し)の財政(ざいせい)上(じょう)の大(おお)きな負担(ふたん)だと聞(き)いた。市民(しみん)の大切(たいせつ)な施設(しせつ)なので良(よ)い病院(びょういん)を造(つく)ってほしい」と話(はな)しました。
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北陸道と国道8号の同時「予防的通行止め」…時間公表は実施の30分前で困惑 結果的に帰宅ラッシュを直撃
大雪による大規模滞留を防ぐため2月4日午後6時から実施された福井県越前市以南の北陸自動車道と国道8号の同時通行止めは、帰宅ラッシュを直撃した。国土交通省近畿地方整備局や中日本高速道路は前日から「4日午後以降」などと実施可能性を通知していたが、はっきりした時間や区間を公表したのは実施30分前。足止めを余儀なくされた運転手らは「仕方ない」と話しながらも、大雪が長引く恐れもあり、先行きの見えない状況に困惑していた。 国道8号の通行止め起点となった越前市白崎町のチェーン着脱場では、国交省の職員や県警の警察官がドライバーに状況を説明。多くの乗用車がUターンを余儀なくされていた。大阪から福井に仕事で訪れていた会社員の男性は「会社と連絡してどうするか対応を決めたい」と困り顔だった。 奈良県から金沢市に向かう途中、北陸道敦賀インターチェンジ(IC)で下ろされたトラックの運転手(47)は「係員から『最悪、丸一日(高速道路から)出られなくなる』と言われた。天気相手なのでどうしようもないけど、下道でいいから石川までなんとか行きたい」と頭を抱えた。 敦賀方面へ通行止めとなった丸岡IC近くのコンビニでは4日午後7時ごろ、複数の大型トラックが停車し、ドライバーたちがこの後どうするか頭を悩ませていた。東京に向かうというトラック運転手の男性は「下道も通行止めで金沢方面から行くしかない。何時間かかるか分からないので食べ物を多めに買った」と話した。 近畿地方整備局と中日本高速道路などは3日、大雪による車両の大規模滞留を防ぐための「予防的措置」として、坂井市から滋賀県長浜市までの北陸道と国道8号で4日午後以降に同時通行止めを行う可能性があると発表。4日には実施時間を「夕方以降」「午後5時以降」と段階的に変更。午後5時半になりようやく、国道8号の起点を越前市白崎町として午後6時から同時通行止めを行うと公表した。 ⇒福井県2月5日以降の各地の予想降雪量は 気象台発表、6日にかけ警報級見込み 近畿地方整備局の担当者は「最新の予測を把握する中で、降雪エリアやピーク時間を踏まえて決めた」と強調。結果的に帰宅ラッシュでの実施となったが「交通量が増える時間に降雪量が多くなると大規模滞留につながりかねない。通行止めを避けたいという思いは当然あり、ぎりぎりの判断になった」と理解を求めた。中日本高速道路金沢支社の担当者は「関係機関との調整もあって直前での判断となってしまい申し訳ない」と話した。 ⇒福井県内の最新ニュースはこちら Page 2 福井新聞ONLINEに掲載したニュースの情報を、アプリの通知のように受けとることができる機能です。 ※iPhoneは対応していません。 プッシュ通知を受け取る(新規) 福井新聞ONLINEを閲覧すると、通知の許可を確認するメッセージが表示されるので「許可」を選択します。 プッシュ通知を解除する 【Androidスマホの場合】 1. Chromeブラウザを開く 2. 右上の3つの点アイコン(オプションメニュー)から、[設定]をタップ 3. [通知]から[www.fukuishimbun.co.jp]を選択し、通知設定をオフ【パソコン(Google Chrome)の場合】 1. Chromeブラウザを開く 2. 右上の3つの点アイコン(オプションメニュー)から、[設定]を選択 3. [セキュリティとプライバシー] ー [サイトの設定] ー「通知」を開く 4. [ https://www.fukuishimbun.co.jp]の3つの点アイコンで「ブロック」 ※スマートフォンの場合、以下の方法でも変更ができます。
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